Queenフレディの最後とは?ボヘミアンラプソディの映画後のストーリー

こんにちは、アリスです。

ついにボヘミアンラプソディのDVDが発売されましたね。そして、レンタルも同時に開始されました。私はボヘミアンラプソディを映画館で見ましたが、フレディーとメアリーの関係が切なすぎて涙が出ました。

さて、映画ではライブエイド(アフリカの難民救済のチャリティーコンサート)で幕を閉じましたが、その後クイーンはどうなったのでしょうか?

その後のクイーンのストーリーや、フレディとメアリーがどうなったのか気に合っている人は多いと思います。

今回は、映画の最後のライブエイド後、フレディが亡くなるまでの間に起きたことを時系列に紹介したいと思います。

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フレディの映画後のストーリー

エイズと診断された時期

最初に補足しておく必要があります。

実は、フレディがエイズと診断されたのは、1985年に開催されたライブエイド前ではありません。映画ではライブエイド前となっていましたが、ストーリーを美しく見せるための嘘です。

実際は1987年春です。

メンバーにエイズであることを告白した時期

クィーンは1987年1月から、アルバム「ミラクル」の制作にとりかかりました。録音期間は一年に及び、このレコーディング期間中にフレディはメンバーにエイズに感染していることを告げました。

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フレディのラストツアー「Live at Wembley Stadium」

アルバム「ミラクル」の発表後、このアルバムのツアー(コンサート)はしないと公表されました。そのため、フレディ・マーキュリーの最後のツアーは、1986年に行った「Live at Wembley Stadium」になります。

1986年に行った最後のツアーは、DVDにもなっています。大迫力のライブ映像です。

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Queenのラストアルバム「Innuendo」

フレディー生存時の最後のアルバムが「Innuendo(イニュエンドゥ)」です。当てつけ、当てこすりという意味の英語です。

ちなみに、当てこすりとは、他のことにかこつけて、それとわかるように悪口や皮肉を言うことです。

Innuendoの制作は1989年に始まりました。

ロンドンではマスコミはじめ周囲がうるさくて集中できなかったため、スイスのモントルーにあるマウンテンスタジオで制作が進められました。

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フレディが最後に公の場所に見せた姿

1990年に、ブリット・アワード受賞式(毎年イギリスで開催される音楽の祭典)で、フレディはクィーンとしてテレビに出ます。

下記の写真が公の場での最後の姿になります。

ブライアンが当時の様子を以下のように語っています。

フレディが弱音を吐くのを聞いたことは一度もなかったよ。こんな人生ってあるか、俺はだめだ、死んでゆくんだ。そんな言葉を漏らしたことなど、一度もなかった。彼はとても強かった。信じられないくらいに。

やがて病気は進行し、立っていることさえつらくなっていった。フレディはウォッカを手にしてから、マイクの前に立つようになったんだ。

ブライアンが「ショー・マスト・ゴー・オン」を書き上げ、体が弱っていたフレディのところに持って行き、高温のキーなので歌えるものなのかわからないけどと行くと、フレディは「なにがなんでもやってみせるさ」と答え、ウォッカを置いて歌ったという逸話が残っています。

レコード会社はクリスマス時期の完成を願っていましたが、フレディの病状悪化のため、発売は1991年1月になりました。

フレディの生前最後のレコーディング

いよいよ病状が悪くなり、死が迫ってきたフレディは、以下のような言葉を残しています。

「もっと書いてくれ。俺に歌を書いてくれ。それをうたうから。俺が死んだ後で、やり終えればいいだろう。」

いつもなら、フレディは全部の楽器のレコーディングを終了してから、ボーカルを録音する方法を好んだそうですが、すぐにレコーディングを開始するようになったそうです。

残された時間が少ないことを自身が一番理解していたのです。

最後に行ったレコーディングは、1991年の5月13~16に行ったマザーラブ」という曲です。しかし、途中で具合が悪くなったフレディは「休憩してくる」といったきり、スタジオに戻ることはありませんでした。

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メアリーとフレディの映画後のストーリー

映画では、フレディにとって最愛のメアリーオスティンが、別の人と結婚し、子供もできました。しかし、ラストでは友達という関係でハッピーエンドで終わりました。

映画後もメアリーはフレディが亡くなるまで心配し続けていたようですね。

死期が近づいてきたフレディはロンドンのケンジントンにある自宅に戻りますが、昔の恋人メアリーも頻繁にフレディの自宅を訪れています。

フレディの恋人ジムハットントンとメアリーの二人による看病が続きました。

そして、さらに病状が進行し、フレディが亡くなるころには、視覚も失い、ベッドから起き上がることもできませんでした。フレディはこの時点で、すべての治療を拒否し、痛み止めだけを飲みました。

そして、1991年11月24日にエイズによる合併症で亡くなりました。

1946年に生まれ、1991年に亡くなったフレディ。

享年45歳でした。

フレディの壮絶な最期

すべての瞬間を全力で行き、やれることはやりつくしたから明日死んでもいい、70歳までなど生きていたくないとフレディは生前に話していたみたいですね。

もうあと数年エイズに感染する時期が遅ければ、そのころに発明された薬によって死ななくても済んだといわれています。

フレディが病気にかかってしまったことは悲しいことですが、そのことにより周りとの深い絆が作られたのかもしれませんね。

いかがだったでしょうか。45歳という若さで亡くなったフレディですが、その人生は太いものでした。

最後になりますが、映画ボヘミアンラプソディのLIVE AIDのシーンと、本物のQueenのLIVE AIDの比較動画がユーチューブに公開されています。

やはり、本物のQueenをみると圧倒されると思います。映画だけ見るとわかりませんでしたが、やはり本物は圧巻です。

BOHEMIAN RHAPSODY MOVIE 2018 [ALL SONGS PART 3] Full Live Aid and Epilogue
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